沿革 – 松仙寺

沿革

南林山 松仙寺 沿革

文明年間(室町時代1469-1486)、志州的屋の城主美作守千種元彦は、志摩国多志郡伊雑浦の伊雑宮が志州争乱の巷と化し神領は没したため、これを逃れ一族郎党をつれ伊雑宮を奉じて当時宮の神領であった神戸に移り、現在の松仙寺本堂建立所在の地にこれを奉った。が乱平定の後、磯部村に奉還した。当時、真宗高田派第10世中興の祖真慧上人の化導が大いに振るい、元彦は上人に帰依し名を全戒と改め、永正元年(1504)十月に館を寶地坊と称し専修念仏の道場とした。道俗の帰依するものが多く、元禄九年(1696)十二月十日、南林山松仙寺の寺号を公称することとなった。その後、本堂は安永年間(1772-1781)に大改修が加えられたが、老朽が甚しくなり開基以来426年を経て昭和5年(1930)現在の本堂91坪を再建し今日に至っている。山門はこれより先立つ明治13年(1880)に再建された。御本尊は阿弥陀如来である。(第十五世現住職釋隆宏)